村上さとこ〖北九州市議会議員〗公式ウェブサイト

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過去に目を閉ざさずに

8月9日長崎原爆の日
心から恒久平和を祈ります。
 
長崎に落とされた原爆は、北九州市に投下されるはずでした。
北九州市民として核兵器廃絶を改めて誓う日でもあります。
 
勝山公園は投下目標だった
今年は投下目標だった勝山公園で行われる平和祈念式典が、コロナ禍による縮小で参列が叶いませんでしが、午後2時より小倉駅にて有志で路上写真展を開催しました。
 
2021年、旧小倉陸軍造幣廠のあった勝山公園に平和資料館が開設予定です。
「戦争被害だけではなく加害とも向き合い、後世に伝えて欲しい」と要望を重ねてきました。
 
しかし、企業から徴用工に触れないよう等との要望を受け「戦時の市民の暮らし展」のようなコンセプトになってしまったのは残念です。
「戦争を経てこんなに復興しました」を示すのが平和資料館でしょうか。
加害を隠していけば、また同じ過ちを繰り返すのではないか。
私は、言いようのない危機感、焦燥感を感じています。
 
ドイツの元大統領ワイツゼッカー氏の

「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」という言葉が頭を駆け巡ります。

 
非核平和宣言都市として
小倉駅前での、原爆路上写真展と、核兵器廃絶を呼びかけでは、
被爆遺族会の方がスピーチして下さいました。
 
75年を経て遺族会も高齢化が進んでいます。
非核平和宣言都市として、市民が意思を継ぎ、核のない平和な世界の実現をしていきたい。
北九州市には、毎年 長崎市長からもメッセージが届いています。
 
原爆を搭載したボックスカー(B29)は、75年前の今日、午前9時44分に投下第1目標であった北九州市(当時は小倉市)に到達。陸軍造兵廠(現在は勝山公園)へ3度の投下を試みるも視界不良のため断念、そのまま長崎へ向かいました。
 
長女が高校生の時、私が 故・佐木隆三さんにお願いに伺い「長崎原爆と八幡大空襲」というテーマで講演をしていだきました。小倉が視界不良だった理由は、前日の八幡大空襲の煙とも、八幡製鉄所の従業員が新型爆弾を警戒し、コールタールを燃やして煙幕を張った、とも言われています。
長崎原爆は小倉原爆でした」と声をかけながら核兵器廃絶のチラシを配ると、道行く多くの方が受け取ってくれました。
高校生や若い世代が立ち止まって、核兵器廃絶の署名をしてくれたのも、平和な未来に繋がる嬉しいことでした。
 
1日も早く日本が、核兵器禁止条約の批准国になるように
核兵器禁止条約の批准国は43カ国で、発効に必要な50カ国まであと7カ国。
日本も早くその1カ国になって欲しいと心から願います。
過去は変えられなくとも、未来は変えられる。人
類は核のない平和な世界をつくっていけるはずです。

 

 

 

 

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